April 09, 2005

君の胸に抱かれたい

Mixi日記に引用されていたある本からの一節を見て「あの頃」を思い出した。
そして、キリンジの「君の胸に抱かれたい」が流れた。僕はあの頃、この曲を
良く聴いていた(調べたら、発売日もちょうど同じ頃だ)。


誓うよ 何処へも行かないと  君をこの腕で包みたいんだ


と僕は曲に合わせて歌った。
嘘じゃないと弁明するより先に、どうしようもない思いにとらわれて、前が見え
なくなった。あの素晴らしい思い出。僕にもまだ人間の心は残っている。

February 25, 2005

Les Photos

重要な話をしていたところで、チャットのサーバが落ちてしまった。
アクセス集中過多?きっとそれが、本当に重要な話だったからだろう。

僕らが求めているものは、一つの方向へと向かうものではないのだ。
歌がうまい、踊りがうまい、喋ることがうまい、そんなパラメータの上下
の話では決して無くて、むしろそれから最も遠く離れたものに惹かれる。
それははっきりとした言葉で表せるものでは無くて、しかし、それをみん
なも感じているのだということが改めて分かった。


………んな会議は裏でスタッフだけでやってろやボケ!


女の子に会議なんぞをさせて、予定調和的な画一化された目的を浮き彫りに
して一体どうしようと言うのか。何になるんだろうか?娘。に対して殆ど興
味を失った僕でさえ憤慨してしまう。



そして、プラチナBB楽屋のキッズ達と言ったらなんと素晴らしいことだろう。
梅さんの異常なハイテンションと、誰からも赤ちゃん扱いのまいまい。カメラを
向けられてもそっけない「中島さん」呼ばわりされているサッキー。いつも通り
野蛮なちなこ。話を合わせる(しかしそれが苦では無いのだろう)茉麻。ちなこに
同じ位の野蛮さで対抗する梨沙子。異常なほどの魅力が溢れ出している。

キッズ達はまさに「パッション」のようなものに溢れている。
あの子達にとって世界は、驚きと楽しいことでいっぱいなんだろう。
少しくらいのつらさもすっ飛ばしてしまう興奮と感動に。

そんな時間がずっと、ずっと続けばいいと思う。



だからこそ、ハロプロの中心である娘。達にはもっと自由で、粗暴なままの存在で
いて欲しいと思う。いや、それとも僕はもうそんなことは無理だと思っていて、だ
からこんなにも排他的になってしまったのだろうか…。



しかし、もういい加減、比較的元気な今の内にこの贖罪意識の無限ループから抜け
出そうと思う。自分はもうキッズのことしか頭にないんだ。それを認めよう。

昔のことについていつまでも考えるのはやめよう。今までずっとそうしてきた自分
が一番分かっているように、過剰な罪の意識は心をどこまでもねじ曲げていく。
罪の意識を抱えながらこのままキッズ達の強い輝きを浴び続けることは、新たな不
幸を産み出すことにしかならない。

もう僕は、娘。のことが昔のように好きではないのだ。
いや、もっとはっきり言えば、正直に言えば、僕は今の娘。の有りようが嫌いなのだ。
そして、その有りように大好きなキッズが巻き込まれていくことが怖いのだ。

目を見開いてそれを完全に認めなければ、僕はまたこのまま一歩も進めなくなる。
失わなければ、前に進むことはできない。

February 04, 2005

Make My Cot Where The Cot-Cot-Cotton Grows

最近友人と萌えに関するシリアスな話をすることが多かったから、
ここ数日、日常的にちょっと色々考えていた。

僕の場合、抑圧された日常の生活の中で(と言っても、堕落しきったどうしようもない
生活なんだけど(泣))キッズに感じているものは、どう誤魔化してみたってやっぱり最後
には性的なものが大きい。でも、例えば握手会でキッズを目の前にした時、そんな心情
は全く湧かないし、近所を歩いている時に小さな子を見ても特に何とも思わない。
不可解なことだけど、僕はきっと臆病なだけなんだろうと思う。考えてみれば、昔から
想像の中でしか自分を解放できなかったし、日常的によく顔を合わせる女の子のことを
好きになることはあまり無かったような気がする。好きな子はいつも遠くにいたような。
とにかく想像している状態が好きなのかも知れない。僕とBerryzの関係の場合、言うま
でもなく萌え要素は向こうの方からやって来て、僕を翻弄する。現実の関係だったら
知り得ないようなことまで全て彼女達は見せてくれる。僕は錯覚を起こし始める。



でも、それだけだったらそこらの凡百のアイドルにも言えることのような気がする。
だって僕はハロプロ以外のものに殆ど全く反応しないし、でもそれはなぜかと考えた時、
やはり音楽のような気がする。結論から言うと、僕はたぶん、無防備にポップスを身に
纏った女の子の姿が好きなんだろうと思う。

逆に言うと、優れたポップスを歌っている女の子だって沢山いるわけで、でも僕はその子
のことをあまり好きにはならない。一概に言うことは出来ないけれど、僕は大抵の場合に
おいて、そういう女の子の虚飾された感じが好きになれなかったりする。

そして、僕には、キッズにそういうものが殆ど無いように見える。あったとしても、それ
はかえってその無邪気さを際だたさせる、抱きしめたくなるような虚飾ばかりだ。そして
僕はキッズが幼いからと言って、そのような無邪気さが当たり前であるとは思わない。
こういうことを言うとまたKくんに怒られてしまうかも知れないけど、そのような無垢さが
得られる道筋と言うものは、やはり娘。こそが築いてきたものなのだと僕は思う。



しかし、ここ数日の友人達とのやりとりで僕が感じたことは、彼らは僕が思うよりずっと
ずっと失われた人達だったのだ、と言うことだ。僕が始まりとして娘。を失ったように、
愛の大きさの差こそあれ、彼らはずっと失われてきた。そして、最後の場所として娘。達
を能動的、意識的に愛していたのだ。僕はそんなことに気づいていたようで、実は全く気づ
いていなかったのだろう。

その時思った正直な印象として、僕がBerryzを絶対に失いたくないと言う今の気持ちは、
彼らの何百分の一であるにせよ、同じものなのかも知れないと思った。もしそれを不愉快に
感じたとしたら、本当に申し訳ないと思うけれど。

そして、Dさんの言う通り、あの15人時代の数ヶ月は僕らにとって本当に特別なものだった
と思う。長い冬を経て見つけた最後の幸せだったんだと思う。全ての、みんなにとっての。

February 02, 2005

獣の罪

どうしようもない高まりと渇望は、もう自慰行為では抑えられなくなってきた。
満たされず、空しく、焦燥感と悲観的な展望だけが目の前にある。

どうしてこんなにも魅力的なんだろう。どうしてこんなに可愛いんだろう…。

友人達がキッズ萌えのことについて話していた。
僕もいい加減な人間だし、最近頭がボケまくっているから大したことは言え
ないかも知れないけど、Dさんが言った通り、もしかすると僕は娘。のことを
愛していなかったのかも知れない。正確に言えば、僕の場合、それはただ
ひたすらに受動的で、常に向こうから与えられるものだったような気がする。

実際、その頃は毎日肉体労働のバイトをしたり、パチンコしたり飲みに行った
り、と不規則極まる生活をしていたからと言うせいもあるけど、今のキッズに
対するほど熱心に娘。情報をチェックもしなかったし、写真も買わなかったし、
でも、それでも自分の萌え局面とでも言うべき決定的な瞬間がいつもいつも
ライブの度に、動画を見る度に訪れていて、それに何の疑問も抱かなかった。
それが一番幸せなことだと思っていた。永遠だと思っていた。

このことは言い訳がましくなるからいつも書こうと思っても書かない(書けない)
のだけど、このことを書かないといつまで経っても僕は前に進めないような気が
する。だから、書いてみようと思う。

僕のそういう世界が揺らぎ始めたのは、やはりなっちの脱退からだったと思う。
一部の人に嘲笑されながらも「なちやめ」で僕は僕なりの考えをぶちまけた。
でも結局、世界は少しも変わらなかったし、信じられないような悪い方向へと
向かっていった。誤解されると困るから先に書いておくけど、悪い方向と言う
のはグループとしての方向であって、娘。達個人の輝きや、苦しみや、努力の
ことでは全く無い。むしろ、その輝きとどこかの誰かに決められた方向性が全く
相反しているからこそ僕は苦しかったのです。



僕の最も印象的な出来事は、辻ちゃんと加護ちゃんの脱退の日に、I君が泣き
ながら電話をかけてきた時だった。彼が普段電話をかけてくることなんて殆ど
無かったし、でも彼は一番最初の爆音から付き合いのある、娘。の最も幸せな
記憶の風景を思い出す時にはいつもそこにいる人だった。彼は僕のように萌え
萌え言う人でも無かったし、どちらかと言うと、むしろ僕が当時疑問視していた
過剰なプロレス的視点に立って娘。を見る人だったように思う。

でも、その時、彼は僕と泣くのと同じように泣いていた。
その時、僕は初めて、彼と僕は同じものを娘。に見ていたんだな、と思った。
何を言っていても、根底にある、叫び出したくなるような抑えがたいあの思いは、
昔からみんな一緒だったんだな、と思った。そして、それが分かった瞬間、なぜ
か僕は自分の中で何かが完全に終わったような気がした。

僕はその時既にキッズに、Berryzに夢中だった。
1月の中野Berryz、2/7のキッズイベントで、僕はもう完全に身も心もやられていた。
信じられないほど可愛かったし、曲は全部良かった。初々しい可愛さに満ちあふれて
いて、彼女達の未来には雲の一つも無く晴れ渡っているように見えた。その時僕が
望むものが、殆ど全てそこにあった。僕が唯一残念だったのは、一番仲の良い友人
達と2/7のイベントを見れなかったことだ。その時感じた幸せこそが。その時の僕ら
が共有するべきことに僕には思えた。心の隅に感じる厚かましさを押しやってでも、
僕にはそう思えた。



僕は多分、「モーニング娘。」と言う女の子達の幻想を決定的に失ってしまったのだ
と思う(それはもちろん、あくまで僕の中で僕の幻想が失われたと言うことだ)。僕は
毎年のように繰り返される脱退をもう二度と見たくなかったし、そこで泣くのももう沢
山だと思った。彼らがシステムとしてそれを続ける以上、そしてそれをしょうがないと
思うファンがいて、そのシステムが(表面上)うまく行っている以上、僕はモーニング
娘。を好きで居続けることに対して絶望してしまった。Cさん(当時Yさん)が言ったよう
に、僕はなっちがおばさんになってもずっとずっとモーニング娘。で居続けて欲しかっ
たのだ。多分、こんなことを言ってもまともな人達には幼稚な意見にしか見えないの
だろう。でも、僕はその時、本気でそう思っていた。それだけは心から言える。

あんなにも好きだ、好きだと言っていた女の子達について少しも触れなくなることを
僕自身も非情だと思う。事実、完全に絶望してしまった瞬間から、僕は娘。から、好き
になり始めた六期からも意識的に身を遠ざけようとしていた。娘。のことを考えると、
なにもかもが辛かった。そして、Berryzには僕がずっと渇望していた幸福と高揚感が
溢れていた。その高揚の中では、事務所が今でも掲げている「学校行事を最優先する
ためメンバーが云々…」と言う言葉を思い出すことも無かった。Berryzの次のシングル
や、アルバムのことを考えると本当に心の底からわくわくした。

意識的に抑え込んでいるからなのか、酔っている時に娘。の曲を聞いたり、映像を見たり
すると、やたら泣くことが多くなった。娘。を裏切っているという気持ちと、Berryzが好きな
気持ちの間で、本当に訳が分からなくなった。これを書いている今だって、僕はかなり混
乱している。



そして、もう一つ思うことはソロになった娘。達の活動を見ていて、殆ど心を惹かれないことだ。
正確に言うと、僕は全くWの曲に対して絶望してしまっている。なんであの子達がこんなに
悪趣味な曲をどこかのカラオケのようなアレンジで歌わなければならないのか。僕には、ソロ
になると言う価値が、モーニング娘。であった時の価値を越えると思うことができない。それが
あの子達の身を削る苦しみに対しての言葉になったとしても、僕はそう感じたとしか言えない
のだ。価値と言うものを単純に比べることは出来ないことは分かっているけど、それでも絶対だ
ったのが「あの頃」のモーニング娘。だったのだと僕は思っているし、そう思ってしまった以上、
そこから進むことは、多分、できない。


僕がBerryzに感じた幸せを娘。の記憶に重ね合わせることは、失礼であると同時に、おこがまし
くも自分としての真実であるとも思う。その時に感じた強烈なパッション無しでは、人は生きてい
けないのだと思う。


パッション感じちゃう
ずっとずっと一緒にE-CHA E-CHA
何百回とかチューしても
慣れないでいましょう

爆笑取ったら
なんかちょっと自慢げ WA-HA WA-HA
何百歳とかなってたって
ユーモアを分け合おう


心にこの歌詞を焼き付けたいと思った。

目の前のBerryzタンブラーに、ちなこを真ん中に8人が映る。
みんなが一緒に笑っている時の顔が大好きだ。もう二度と離れたくない。

桃子にずっとムカついていたいし、バカな梨沙子をずっと見ていたい。
不器用な舞波も、強情なちなこも、誘惑する雅ちゃんも、透明な友理ちゃんも、
みんなを優しく見守る茉麻も、しみハムも。



この問題に関する最も親しい友達の意見の違いを見ていると、なぜか、がんじがらめに
なった頭が少しだけほどけていく。僕にはどっちの意見も納得できてしまう。なぜなら、
彼らは僕が知る中で誰よりも娘。を愛していた人達だったからだ。僕は、彼らの言葉に
何度触発されただろう。そして、それらの言葉や印象は、最も幸せだった時の記憶と
して、僕の身体の奥に深くインプットされている。

I君のエピソードと同じように、彼らと僕は同じ悲しみを共有しているからこそ、感覚を
越えて付き合えているのだと思う。僕は娘。を好きになって、ネットで色んな人にあって、
でも、どこか自分の落ち着ける場所というものを見つけ出せずにいた。GMや、2chや、
ファンサイトや、最後には殆ど馴染めなかった。それは僕が心を開かなかったせいでも
あるだろうけど、でも、初めて見つけたその場所には、今の時代にそぐわないナイーブ
さのようなものを普通に受け入れる余裕や、心の広さがあったように思う。

できることなら、ずっとずっと娘。について昔と同じように話していたかったと思う。
でも、僕は、僕らはお互いを認め合うことができると思っている。

娘。的な幸せを享受した僕らがこの流れの中で離れていくことこそが、最後の破局で
あるように僕は思う。アルコールの限界点を越えた僕はもう多分これ以上書くことは
できない。ごめんなさい。

February 01, 2005

Just friends

Just friends
Lovers no more
Just friends
But not like before
To think of what we've been
And not to kiss again
Seems like pretending
It isn't the ending

Two friends
Drifting apart
Two friends
But one broken heart
We loved we laughed we cried
Then suddenly love died
The story ends
And we're
Just friends

We loved we laughed and we cried
Then suddenly love died
The story ends
And we're
Just friends

"Just Friends"    John Klenner / Samuel M. Lewis

November 07, 2004

帰宅

明け方の奇跡。
君はただ普通に回しただけって言ったけど、あれほど予定調和から
かけ離れ、無邪気で、無垢で、そして、冒険心に満ちあふれたプレイ
は無かった。ヲタ以外の人をドン引きさせてしまったかもしれないけど、
なぜかそれさえ心地良い。清々しい(迷惑)。

でも、そんなことは気にする必要なし。
文句無しのMVP。榊原、お前は男だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
朝までいて本当に良かった。本当に良かった時ってあんまり二日酔いを
しない。雅ちゃん、何度も言うけど、本当に、本当に楽しかったんだよ。

もう二度とは戻らないと思っていたような瞬間が、戻ってくることはある
んだ。あったんだ。埋もれていた、クズみたいなレコードの山から奇跡的
な一枚を見つけて、見つけた瞬間にみんなでそれを共有できた気分…?

心の底から熱いと思うあの曲の瞬間。
みんながみんな最高に輝いていた、その瞬間の記憶。
あの時、僕らはこんな風に感動していたんだ、と思った。

それを味わうことはもう二度と無いだろう。
たぶん、奇跡は二度起こらないし、あったとしても僕は今のように感じは
しないと思う。僕は、モーニング娘。が大好きだったんだ。

October 25, 2004

すごく

すごく野暮なことなんだけど、娘。の新曲はみんなが言うより良いと思った。
そして、Berryzの新曲はがっかりした。期待することが良いのか悪いのか。
いや、そんな二択を吹っ飛ばしてしまうようなポップを!

投稿者 utaka : 05:46 AM | トラックバック

October 11, 2004

てすと

てすと

投稿者 utaka : 02:12 AM | トラックバック